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キス色百景 SCENE.006 『ロマンティックな戯言』 

2,000文字程度で、キスに関するシチュエーションを集めてみたいな短編集。

キス色百景・第二話 「比類のない経験」と、
キス色百景・第三話 「後生だからお願い」と、
キス色百景・第四話 「至上なる幸福の二時間半」と、
キス色百景・第五話 「つかの間の陶酔」の続きで、
比類のない~の少し前、ルルシーが恋の自覚をする以前の話と、ロロの話です。

「つかの間の陶酔」で実家(=アリエスの離宮)に帰った嫁の話を書くつもりだったんですが、
全体的な世界観に付いて補足説明をするついでに、例の如くまた長い話になってます。

次回は、
1)実家(アリエスの離宮)に帰ったC.C.とルルーシュの話。
2)V.V.とルルーシュの対決。

お愉しみください(*´ェ`*)



携帯やmacな方はコチラから。

それ以外の方は、下からどうぞ。




キス色百景
* SCENE.006 : ロマンティックな戯言 *


「C.C.、おまえ、今日ちょっと買い物に付き合え」

 藪から棒にルルーシュがそんなことを言うので、C.C.は軽く困った。
 いったいどこに? 何の用事で? と訊ねたいことは山積みだったが、チラリと横目で眺めてみた時計の針は8時23分。ルルーシュを9時からの講義に間に合わせるためには、もうとっくに家を出ていなければマズいような時間だった。
 仕方なく、「わかった」と答えると、その返事を当然のように受け取ったルルーシュが、慣れた仕草でC.C.の細腰にグイッと腕を回して抱きしめた。
「あ、こら」
「行ってくる」
「ぅんっ……」

 今を去ること一年と三ヶ月前、事前に何の説明もなく「ついて来い」と言われて、案内されたのが4LDKの新築マンション。
 まるきりどこかのモデルルームのように、中には使われた形跡のない家具が整然と設えられていて。
「いったい誰の家だ?」と訊ねたら、「俺の家だ」と極めてわかりやすい答えが返された。
「正確には、俺とおまえの家だがな」
「――はァ?」

 その日を境に、上げ膳据え膳の生活から一転して、ルルーシュに命じられるまま強制的に料理を覚えさせられ、家事手伝いの真似事を続けているうちに、気がついてみれば一年後。
 突然、マンションまで遊びに来たマリアンヌが、豊満な胸を張りながら高飛車に訊ねてくれたものだった。
「ところでアンタたち、もう当然キスくらいは済ませているんでしょうね?」
「どうして私とルルーシュが、そんなことをしなければいけないんだ?」
 正確に言うならば、キスの経験がまったく無いわけでは無い。
 だが、ルルーシュの反逆も完遂された今、強いて更新しておくような記憶も無いわけで。
 必要も無いのに、キスなんかしていられるか――とC.C.は鼻の先で笑い飛ばしたものだったが、考えてみればルルーシュは、そのとき返事をしなかった。
 数日後、マリアンヌは愛しのシャルルが待つアリエスの離宮へと帰って行ったが、翌朝からルルーシュは、当然の顔をして新しい習慣を強制付けてきた。
 大学に出かけるために玄関先で靴を履いていたルルーシュが、「C.C.!」と声高に呼びつけてくれるので、「忘れ物か?」と何の疑問もなく足を運んだら、突然チュッと唇を盗まれて、驚いたC.C.は「何をするんだ?」と食ってかかった。
 そしたらルルーシュは、逆に怒ったような顔をして「嫌なのか?」と至近距離まで詰め寄ってきて。
 そんなふうに開き直るとは予想してなかったC.C.は、正直言ってその反応が面白くなかったが。
 考えてみれば、キスくらい別にどうってことはなかったので、「別に?」と勢いで返したら、「なら、そういうことだ」とあっさりキスの続きを盗まれた。

 アッシュフォードのクラブハウスで、ルルーシュと同居を始めてから三年。
 ルルーシュがシャルルに記憶を置き換えられて、離れていた期間も加味すると、もういったい何年一緒に過ごしているのやら。
 その間ずっと『共犯者』として一緒に過ごしていたわけだから、突然相手の性別を思い出したわけでもあるまいに。
 たまたま一緒に生活しているだけの相手に、突然発情されてしまってもコッチのほうが対処に困る。
 出来れば即刻そう申し渡してやりたいところだが、初回に負けず嫌いの意地が発動して、素直に断り切れなかったものだから、渋々ルルーシュの好きなように応じてやっているというわけだ。

 そのままC.C.が逆らわないのを見て取ると、薄く開いた唇がC.C.の唇をついばむように軽く挟んできて。唇の狭間からチラリと伸びてきた舌先がC.C.の下唇に触れたところで、C.C.は遠慮なくルルーシュの両肩をグイッと押しやると、ビシッと壁掛け時計を指差して「時間!」と現実的な問題を指摘した。
「8時25分だ。ルルーシュ、おまえ800メートルの障害物競走を、2分弱で乗り切るつもりか?」
 突然、やわらかな唇の感触から引き剥がされ、無粋な指摘を受けてしまったルルーシュは、動じた気配もなくフンッと鼻を鳴らすと、「何をいまさら」と余裕の態度で切り替えした。
「その時計なら、いつも五分だけ進めてあるはずだろう?」
「ああ、言い忘れていたけどな、今朝方電池を交換したばかりだぞ?」
「――なにっ?」
「だから、今ちょうど……ああ、8時26分を回ったところだな」
 念のため、ポケットから取り出した携帯電話の時計も合わせて示してやると、ようやく事態を把握したルルーシュは、軽い舌打ちを残して「行ってくる!」と脱兎の如くに駆け出した。
「おーおー、ルルーシュの分際で……おまえもやれば出来る子じゃないか」
 マンションの最上階の玄関先から、やがて地上に姿を現したルルーシュの背中を見送って、C.C.は呆れたように呟いた。
 毎朝のように繰り広げている攻防戦。
 一度は許してしまった以上、いまさら「嫌だ」と拒むような真似だけは、C.C.のプライドが許しはしないが。
 だからといって、付き合っているわけでもない男の劣情に喜んで身を任せてやるほど、C.C.は甘い性格をしていなかった。
 眺めているうちにも、携帯電話の時刻修正機能が作動して、示している時間は8時21分。
 もう少しばかりルルーシュを引き剥がすのが遅かったら、危うくトリックがバレてしまうところだった。
 まったく、相変わらず世話の焼ける坊やだな――と肩をすくめながらキッチンに向かうと、朝食の際に使った二人分のプレートをカチャカチャ洗っていたところで、エプロンのポケットに入れている携帯電話がブルルッと軽い振動を伝えてきた。
 専用に登録してある振動のパターンで、ルルーシュからのメールの着信であることには気づいていたので、先にサラダボウルやら、カフェオレカップやらを綺麗に片付けると、「どれどれ?」と騙された男の恨み言に目を通した。

『性悪魔女へ。
 おかげで、一本前の電車に間に合ったぞ?
 それはともかく、14時に大学の校門前まで迎えに来い。』

 何だ、それだけか――と、C.C.は少しだけつまらない気分で、片方の柳眉を吊り上げながらメールを一読すると、本文には何も書かずに、『わかった』と件名だけで送信した。
 ついでに洗濯機を回し始めると、部屋中にひととおり掃除機をかける。
 思い出したように朝のニュースで今日の天気を確認して、布団も干しておくことにした。
 大学までは30分足らずの距離だったから、出かける前に取り入れれば、今夜は気持ちよく太陽の匂いを満喫しながら眠りをむさぼることが出来るはずだ。
 二人で住むには広すぎる部屋を綺麗にするのは正直骨が折れるが、ベランダにヒラヒラと洗濯物がたなびいている光景を眺めるのは、結構乙な気分を味わえるものだった。
 週末にルルーシュがフローリングにワックス掛けをしたばかりだったので、窓から射し込む陽光がまぶしいほどに反射していて美しい。
 あんまり綺麗な眺めだったので、携帯電話のカメラで撮影して、カレン宛に『今週いっぱいは、洗濯日和らしいぞ?』と写メールを送ったら、怒りマークの絵文字入りで『ごちそうさま』と返事を寄越してきた。
「……何が『ごちそうさま』なんだ?」
 C.C.は、しばらく小首を傾げて考え込んだが、きっと朝飯でも食いはぐれているのだろうと適当に解釈して、『週末にでも、一度遊びに来い』とカレンを誘った。
 ちなみに、二人が住んでいるマンションを、事前に何の断りもなく即金で購入したのはマリアンヌだ。
 母親の勝手な好意に激怒したルルーシュは、シャルルに電話で直談判して振り込み用に新しく口座を設けさせると、マリアンヌが「要らない」と言うのには耳を貸しもしないで、銀行が融資する利率よりも高い金利を上乗せして毎月律儀に返済している。
 学生の身分で、肝心の資金繰りはどうしているのかC.C.には想像もつかなかったが。ルルーシュに謎の多いのは昔からの事だったので、あんまり難しいことは気にせずに日々の生活に甘んじているような状態だ。
 どっちにしろ、目先の用の無くなったはずの『共犯者』を、今でもまだこうして傍に置いているわけだから、この先きっと何かしら使い勝手を考慮しているのは事実だろう。
 仕方がないので、そのときが訪れるまで「付き合ってやるか」と肚を決めているC.C.は、ふぁあと退屈な猫がするように全身を伸ばしてアクビをすると、出かける用意をするためにクローゼットの前に足を運んだ。

 カララと軽い音を立て、ウォーク・イン・クローゼットの扉を開ける。
 変なところで親子して似るもので、ザッと見渡しただけでも、まだ一度も手を通していないスーツとワンピースが合わせて23着。
 ここ最近のルルーシュは、店先で突然女物の洋服に一目惚れするのが趣味なのだ。
 まだ一度も穿いたことのないパンツとスカートと、色とりどりのシャツを床の上に広げてコーディネイトして、一分経過したところでC.C.は天を仰ぐと、『面倒くさいなァ』と盛大に眉をしかめた。
 不老不死の身体の特性で、「年齢と共にサイズが変わる」などといった屈辱的な現象とは縁のない身体つきをしているが、だからといって、あんまり放置しておくと、ルルーシュが何も言わずに機嫌を傾けてくれるからタチが悪い。
 そのクセ、「要らない」と再三断っているにもかかわらず、月に三、四着のペースで、勝手にどんどん在庫が増えていってしまうのだ。
 ルルーシュとは違って、夕飯の買出しに出かける以外は、コレといって出かける先もないのだし、一人でブラブラ出歩くときには、ジーパンにTシャツで充分だと考えているC.C.にしてみれば、結構過酷な拷問だ。
 そのまま腕組みしながら五分ほど悩んで、部屋中をグルグル歩き回りながら三分ほど悩んで、ポンッと小気味良く拍手(かしわで)を打つと、ルルーシュが出かける際に着ていた服とカラーコーディネイトを合わせることにした。
 ほんのりパープル寄りのピンクが可愛らしいノースリーブシャツ。
 襟ぐりとそで回り、裾の部分にさりげなくレースがあしらってあり、前立ての小さなボタンには薔薇の彫刻を立体的に施してある。
 胸元にはスカートと共布のタータンチェックのネクタイを飾りにあしらって、かなり丈の短いプリーツスカートの下には純白のニーハイソックスを。
 仕上げに上からハーフ丈のジャケットを重ねたら、我ながら可愛らしい姿に、思わずクルリと意味もなく回ってみたりして。
「フフフッ、やっぱり素材がいいと、何を着ても引き立つなァ」
 まんざら悪くもない気分でC.C.は服の着心地を確認していたが、何だか自分がルルーシュと出かけることを、とっても愉しみにしているような顔をしていることに気づいて、瞬間的に苦虫を噛み潰したような顔になる。
「――べ、別にアイツがうるさく言うから、仕方なく着てやっているだけで。――そ、そもそもアイツが頼みもしないのに次々買ってくるから、私が着てやらないと服が可哀想じゃないか……」
 そんなコトは、誰も聞いてない。
 自分で、自分にツッコミを入れながら、勝手にポッポッと赤くなる頬の熱さを持て余し、C.C.は鏡の前から逃げ出すと、せかせかと小走りでキッチンに駆け込んだ。
 時刻は既に12時半。
 待ち合わせが14時だったから、軽く昼食を済ませておいたほうが無難だろうと考えた。
 最近ハマっている炭焼きベーコン入りのカルボナーラを手早く作って、ひとりで食事をするときの習慣で、朝の連続テレビ小説の再放送にチャンネルを合わせた。
「――何だとっ? 見損なったぞ、澄子! その男だけは止めておけと言っただろうっ! あ~あ、不甲斐ない男だなァ、賢治ィ~。そんな魔女の口車に乗せられて、薔薇色の人生を棒に振るのかァ?」
 まるきり、どっかの誰かさんみたいだな――と思ったC.C.は、チュルルッと最後の一本のパスタを口の中に含んだ。
 モグモグとゆっくり咀嚼しながら、続いて始まったニュース番組をただ漠然と眺める。

「………本当に、アイツはいったい何が愉しくて、用済みになった魔女などと一緒に暮らしているのだろうな?」

 V.V.からマリアンヌを守るために、シャルルは影武者を用いて殺害現場をでっち上げ、ルルーシュとナナリーを強制的に枢木ゲンブの元に送致した。
 事情を何も知らされていなかったルルーシュは、『仮面の男・ゼロ』として黒の騎士団を率いて一世一代の反逆を始めた。
 ところが、突きつけられたあまりに馬鹿馬鹿しい真実に、激怒したルルーシュはV.V.を殺して無理やりコードを奪おうとしたのだが、シャルルがギアスを使ってそれを阻止した。
 そして、ルルーシュが記憶を取り戻した暁には、シャルルは既にブリタニア皇帝の座から退いており、代わりにオデュッセウスが第99代皇帝に即位していた。
 その参謀を務めているのが、シュナイゼル・エル・ブリタニアである。
 ルルーシュの作り上げた超合衆国の実権を認める代わりに、シュナイゼルは黒の騎士団の解散と、ゼロの解任を求めてきた。
 ブリタニア側の責任は、実父であるシャルル・ジ・ブリタニアに取らせたわけだから、テロリスト側の責任は、実弟であるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアに取らせようという魂胆である。
 世界から戦争が無くなりさえすれば、ゼロという飾りの権威などには一切未練のなかったルルーシュは、二つ返事でそれを了承した。
 かくして世界は、(すめらぎ)神楽耶と天子率いる超合衆国と、オデュッセウス率いる神聖ブリタニア帝国が治めているわけだったが、今でもルルーシュは中立的な立場から、双方への口出しが許される立場にあることを、もちろんC.C.は知っていた。
 マリアンヌが生きている事実を、C.C.でさえ気づけなかったカラクリは、何のことはないCの世界に居る記憶の管理人が、人知れず九年間もマリアンヌを匿っていたのである。
 だからマリアンヌの気持ち的には、マンションの購入を初めとしたルルーシュに対する干渉は、遅ればせながらの詫びの気持ちが篭められているのだろうが。
 いまさら親の愛情なんてものを振りかざされても、それを安易に受け入れる気持ちになれないルルーシュは、依然として不器用に頑なな態度をとり続けている。
 それに比べると、ナナリーはあっさり状況を受け入れたものだった。
 15の歳まで八年間も育ててくれたルルーシュの恩義に報いるために、アッシュフォードの高等部を卒業するまでは日本に留まる決心を固めているらしいが、卒業と同時にアリエス宮へ住まいを移して、ブリタニアの大学に進学する予定でいるらしい。

「ルルーシュ、おまえもなァ……余計な意地ばかり張っていないで、さっさと楽な道に進めばいいのな」

 願っていた形とは、少しだけ結果が違ってしまったが、それでも間違いなく手に入れられた『優しい世界』。
 死んだはずの母親が生きていて、自分を裏切ったはずの父親も、多少はまァ方法が不味かったとはいえ、父親なりの方法で子供たちを真剣に愛していたわけだから、委細は気にせずナナリーみたいに結果だけを受け入れても問題はないはずだった。
 ルルーシュだって、とっくに頭ではそう理解しているクセに。
 変なところで、魔女と交わした約束を棄て切れないでいるものだから、わざわざ面倒くさい方向へと自分自身を追い込んでしまっている。

「……傍に居てくれとか、ひとりじゃないとか、笑顔をくれてやるとか言われても……なァ?」

 たしかに、言われた時には嬉しかった。
 今まで誰一人として、そんなふうに接してくれた人間は皆無だったからだ。
 けれども、ルルーシュの願いが成就してしまった今、正直言えば、C.C.には交わしてきた約束が重荷だった。
 魔女のことなど放っておいて、さっさと嫁さんの一人でも掴まえて、幸せになればいいのにと本気で思う。
 そしたら自分は、今度こそ何の気兼ねもなく、諸国漫遊の旅に出かけるのだ。
 ルルーシュが欲しいと願った世界が、どんなに今、世界中の人間に嬉しく受け入れられているのか、自分の眼で見て確かめてみたいとC.C.は思う。
 直接的には何の関係もない人間たちの幸福な人生を傍観して生きるだけでも、今までの人生に比べると何だか愉しそうな気がするじゃないか。
 考えるほどに、理不尽な理由で足止めを食っている気分を味わい始めたC.C.は、ムシャクシャしながら洗い物を片付けると、折良くカレンからメールの返信が届いた。
 小一時間ほどのタイムラグは、カレンが講義に集中していた証だろう。
 少なからず愚痴に付き合わせたい気分だったので、さっそくメールの中身に眼を通してみると、まるきりツンデレの見本のような返事が届いていた。

『C.C.へ
 どうしてもって言うなら、仕方なく遊びに行ってあげても構わないけど。
 ついでに、アンタかルルーシュが、ケーキの作り方を教えてくれない?
 ちょっと珍しいレシピを探してるだけなんだから、別に強制してるわけじゃないんだけどね』

 なんとなく天井を見上げて、「ん?」と小首を傾げたC.C.は、メールを打つ手間を省いてカレンに直接電話をかけた。

「ひょっとして、ジノの誕生日か?」
『――なっ、ばっ、ちょっ、あ、あっ、アンタなに言って…っ』
「それともカレンの誕生日? ――いいや、違うな。ジノならお抱えのシェフに任せて、豪勢なディナーの一つでも用意してくれそうだ」
『ちょ…っジノジノって、なんでアイツの名前を連呼する必要があるのよっ?!』
「おやァ? 私は『ジノ』と二回しか言っていないぞ。いや、しまった、今ので三回になってしまったがな」
『~~~…ッ…』
 電話の向こう側で全身の毛を逆立てているのがわかる。
 絶句したまま鼻息だけを荒くしているものだから、何だかまるでエロイ悪戯電話を相手にしている気分だ。
 思わず笑い出してしまったC.C.が、クックッと喉を鳴らしながら「それで?」と訊ねると、ガックリ肩を落とした感じのカレンが、遠慮なく送話口に向かってハァ~ッと大きな溜息をついた。
『……………だから。その、……………記念日なのよ』
「何だ、ついに結婚が決まったのか?」
 そんな話、聞いてないぞと、C.C.が真面目に問い返すと、しみじみ呆れている口調で『そうじゃなくって』とカレンが律儀に訂正した。
『付き合い始めて、ちょうど一年の記念日。……アンタたちだって、それくらいお祝いしてるんでしょ?』
「アンタたちって?」
『だからっ、アンタとルルーシュよっ』
 それ以外に誰が居るのよ? と苛立っている口調で言われて、C.C.はものすごく冷静に「ちょっと待て」と遮った。
「どうして私とルルーシュが、そんなものを祝わなければならないんだ?」
 そもそも、ルルーシュと初めて顔を合わせたのは、ルルーシュが九歳のとき枢木神社の山奥で。
 二度目に顔を合わせたのは、シンジュクゲットー壊滅作戦でブリタニア軍に追い回されている最中だった。
 そんなもの、いったいどこの物好きが祝いたい気分になるんだ? と冷静に問い返すと、なぜだか電話の向こう側で絶句しているカレンが、おそるおそる訊ねてきた。
『……ねえ、ちょっとお訊ねしますけどね』
「何だ、改まって?」
『去年のルルーシュの誕生日には、何かお祝いしてあげた?』
 藪から棒の質問に少なからずムッとしたC.C.は、「もちろんだとも」と大威張りで鼻息荒く答えた。
 すると、たちまち安心した様子のカレンが、『そりゃそうよね~』と照れくさそうに笑った。
『いくらアンタでも、そこまで無神経じゃなかったか』
「ああ、おかげさまでな、大変だったぞ? あの男は外面だけは良いからな。友人知人から山のようにプレゼントを貰って帰ってきて、その大半が生菓子だったからな。二人して役割分担して、二日がかりで食べ切った。どっかの誰かさんみたいに、夏場生まれだったらと考えるだけで、正直ゾッとしないぞ?」
『……………』
 一転して、電話の向こう側で黙り込んでしまったカレンは、30秒ほど沈黙を続けた後で、『で、アンタは?』としつこく訊ねてきた。
「はァ? だから今言っただろう、同居人のよしみで仕方なく、生菓子の処分を手伝ってやったんだ。ルルーシュも、アイツにしては珍しく素直に喜んでいたぞ?」
『……………』
 ふたたび黙り込んでしまったカレンは、しみじみ大きな溜息を吐き出すと、『何か、ルルーシュが可哀想になってきたんだけど』と、完全に突き放している口調で呟いた。
「なんだと? 失礼な奴だな」
『……………も、いい。それより、どっちなのよ? 教えてくれる気はあるの?』
 一転して、殊勝に教えを乞うて来るので、思わずC.C.は鼻白んでしまったが、話の雰囲気から察するに、そろそろ次の講義が始まる時間なのだろう。
「ああ、別にコッチの都合は構わないぞ。この週末なら、ルルーシュも自宅に居るはずだしな。どっちでも好きなほうに教えを乞うがいい」
『いちいち言い方がムカつくんですけど』
 ぶっきらぼうに言ったカレンは、『じゃァ、詳しいことは、後でまたメールするから』と言って電話を切った。
 C.C.は、完全に他人事の気分で、「大変だなァ」としみじみ感心した。
 お互いの誕生日を祝って、それ以外にも、バレンタインデーに、ホワイトデーに、クリスマス。
 それだけ祝ってもまだ飽き足らず、いちいち付き合い始めた記念日まで祝う必要があるのか。
 私が男なら、そんな女の相手は勘弁願いたいなと肩をすくめながら、そろそろ出かける時間が迫っているのに気づいたC.C.は、干していた布団を取り入れるためにベランダに足を運んだ。

 服装に合わせて、たまには軽く薄化粧の一つでもして、では行くかと腰を上げたところで、キッチンカウンターに放置していた携帯電話がメールを受信しているのに気づいた。
 送り主はルルーシュだった。
 何だろう? と小首を傾げながら中身を一読したC.C.は、軽く溜息を吐き出すと、『わかった』と朝にも送ったメールをそのままコピーして再送した。
 ヤレヤレと肩をすくめながら、いつもの買い物仕様のTシャツとジーンズに着替えると、サンダル履きで近所のスーパーに夕飯の買出しに出かけた。



◇ ◇ ◇




 一方、その頃ルルーシュは。

「ああ、やっぱり、お兄さまの判断にお任せして正解でしたね~っ!」

 ついさっきまで涙目でルルーシュに縋り付いていたナナリーを相手に、肩をすくめながら苦笑を洩らしていた。
「大げさだなァ。生徒会の仕事だからといって、そこまで深刻に思いつめる必要はないだろう?」
 大学の学食で昼食がてら提出用のレポートを片づけていたルルーシュのところに、ナナリーから一通のメールが届いたのである。
 何でも、来年度のクラブの予算編成をうっかり忘れていたという話で。
 ミレイが生徒会長だった当時に、一度は経験のあるルルーシュが、仕方なく助っ人として高等部のクラブハウスに出向いた。
「そもそも、三年生の先輩方は何をしているんです? この程度の問題なら、わざわざ俺が出しゃばる必要もなかったように感じますが」
 チラリと横目で反応を窺うと、部屋の片隅で肩身を狭くしていた生徒会長が、「ははは」と妙に乾いた笑いを張り付かせたまま、気まずそうに部屋から出て行った。
 何でも、後でロロから聞いた話によると、ナナリーが副会長権限で勝手にルルーシュを呼びつけてしまったらしいが。
 だったら、事前にそうした事態に陥らないように、抜かりなく手を打っておくのが生徒会長の務めである。
 完全に身内贔屓で結論を下されてしまった生徒会長のほうは堪ったものではなかったが。
 日々の多忙と相まって、なかなか顔を合わせる機会のなかったナナリーは、「お茶の用意をしてきますね!」とニコニコ顔で部屋から出て行った。
 その背中を笑顔で見送っていたロロが、おもむろに心配顔でルルーシュに訊ねてくる。
「でも、兄さん。約束のほうは大丈夫だったの?」
「ん? よく気づいたな」
 ナナリーからメールが届いた時点で、C.C.には断りのメールを一本送っていた。
 その返信を、クラブハウスに到着してから受信したわけだが。もちろんナナリーには、余計な話は一切伝えていなかった。
 だが、相変わらずロロのほうは、兄のちょっとした仕草にも敏感だった。そっけないC.C.の返信を一読して、思わず肩をすくめたルルーシュの反応を見逃さなかったらしい。
 心配そうな曇り顔を眺めて苦笑して。ルルーシュは意識的に肩から力を抜き去ると、ロロの気遣いに飾りのない笑顔で応じた。
「気にするな。相手はC.C.だからな。どうしても外せない用件なら、ナナリーが相手でも、さすがに俺も断ってる」
「そう? ……でも、兄さん、ナナリーには甘いから」
 冗談っぽく言おうとして、見事に失敗している。
 互いに兄弟であることを肯定的に認識して、家族同然の付き合いを初めて一年。
 相変わらず、ルルーシュと二人きりになると途端にぎこちなさの際立ってしまうロロの態度を、テーブルを挟んだ向かい側から呑気に傍観しながら、『コイツも、妙なところで不器用な奴だな』と考えているルルーシュは、自分も間違いなくその一員であることに気づいてない。
「当然だろう? どっかの誰かさんと違って、正真正銘ナナリーは、この俺に愛されているからな」
 ロロは露骨に傷ついた顔をして、プイッと視線を逸らした。
『どうせ僕は…』と全身で物語っていることにも気づかずに。
 コイツもいい加減、俺の扱い方を覚えてもいい頃なのにな――と無責任なことを考えながら、ルルーシュは、「冗談だ」と明るい調子で言ってやる。
「おまえが首尾よくフォローしてくれているからな。俺のほうこそ、おまえに甘えているんだ」
「……え?」
「ナナリーはC.C.に懐いている。アイツにまで迷惑を掛けたと知ったらナナリーが傷つく。愚痴を言われるのは、俺一人で充分だ」
「……ううん、別に……これくらい。僕も、ナナリーが落ち込んでいる姿は見たくないからね」
 ごくごく控え目に言ってくれるが、今では日々の大半をナナリーと過ごしているロロの本心でもあった。
 以前までの関係を考えてみるだに、ルルーシュには不思議な気もしているが。
 たまに二人でいるところを見てみると、明らかにルルーシュと一緒に過ごしている時よりも、リラックスしているのに気づいていた。
 だから余計に、たまにはロロを苛めてしまいたくなるルルーシュは、『俺は妬いてなんかいないぞ』と虚勢を張る自分に苦笑しながら、思いついたセリフをそのまま口にした。
「おまえも一人前に、言うようになったな?」
 見る間にロロの首筋まで真っ赤に染まっていく。
 そこまで動揺するようなことを言ったか? とまったく自覚の無いルルーシュは怪訝に思ったが、ようやく普段の調子を取り戻したらしいロロが、精一杯に虚勢を張っているのがわかる口調で言う。
「そりゃァね? これでも一応、兄さんの弟なんだからさ」

 その『弟の座』を手放したくない一心で、ロロはシャーリーを殺害するという凶行に及んだ。
 だが、ジェレミアがギアスの発動を察知して、寸でのところでシャーリーは難を逃れた。
 もちろん激怒したルルーシュは、ギアス嚮団に囚われの身であったナナリーを救出する際に、最初から殺すのが目的でロロに繰り返しギアスの使用を命じた。
 その隙を見逃さなかったのが、V.V.である。
 自分を裏切ったシャルルとルルーシュに復讐するために、絶対停止のギアスが発動した瞬間に、ナナリーに向かって銃弾を浴びせかけた。
 ロロのギアスでは、物理的な現象は止められない。
 何を考えるより先に身体が動いていたロロは、ナナリーを殺すために振り上げていたナイフを投げ棄てると、身を挺してナナリーの命を救った。
 瀕死の重傷を負ったロロは、心臓に致死レベルのダメージを受けていたことも重なり、一度は心停止の状態まで陥ったが、臓器のほとんどを人工臓器に取り替えることにより、辛うじて一命を取り留めた。
 自ら発した命令が原因で、危うくナナリーを殺してしまうところだったルルーシュは、激しい自己嫌悪と煩悶を抱えたが。後に両親とV.V.の口から真実を明かされるに至り、ルルーシュの憎しみの矛先はV.V.個人に一極集中した。
 半年後、ロロが退院した際、ロロは正式にルルーシュの『従弟(いとこ)の座』を手に入れていた。
 皇位継承権の関係する都合上、『ヴィ・ブリタニア』の姓を名乗ることは許されなかったが、庶民の出であるマリアンヌが、自らの血縁者と養子縁組を結ぶことを容認したのだ。
 だから実際には、『弟の座』は手に入らなかったわけだが、ロロにはそれでも充分すぎるほどに夢のような境遇でもあった。
 書類の都合ほど、人の心の部分は簡単に修復できる問題ではなかったが、ルルーシュの扱いには慣れているナナリーが、裏からこっそり手を回して、何かと助言を与えていることには当然ながらルルーシュも気づいていた。

 かくして、兄弟歴若干一年に過ぎない弟の姿を、ルルーシュは不思議な気持ちで垣間見る。
 心の底から、殺してやりたいと思っていたはずだった。
 そして何よりも、ロロのほうこそ、ルルーシュの本心に気づいていたはずだった。
 それでもこうして、以前と変わりなく家族の愛情を求めて見せるのか。
 自分が突き放してしまったら、ロロの世界は一転して暗黒の闇に陥ってしまうのだろう。
 誰に対しても『優しく』見えるこの世界でさえ、人の心の持ち方次第で、いつだって三寸先は闇なのだ。

 ――けれども。

 最近なんとなくロロの雰囲気が、露骨にナナリーの影響を受けていることにも気づいていた。
 アレでいてナナリーは、『甘えられる』と判断した相手には遠慮なく我を張るタイプだったから、ルルーシュの知らないところで、案外ナナリーに振り回されているに違いない。
 結局は、個性の強い兄妹に板ばさみ状態で、いいように振り回されている苦労性の弟の頭をクシャリと撫で回すと、「一応(ヽヽ)だけ余分だろう?」とロロのひたいを人差し指で小突いた。
「それに、久しぶりにおまえの顔も見たかったしな」
「――っえ?」
「前に俺が顔を見せたとき、ちょうどおまえ検診日だったろう? その後、身体の調子はどうなんだ」
 ふわふわの猫っ毛をクシャクシャにされてしまったロロは、ぺたぺたと両手で不器用に髪を撫で付けながら、「大丈夫だよ」と照れ切っている口調で答えた。
「もうしばらく一ヶ月検診は続けなきゃいけないみたいだけど、薬の種類も減ってるし。ペースメーカーとの相性も良いみたいだしね。この調子だと、万が一の場合でも、以前より影響は少ないだろうって」
 V.V.いわく「失敗作」であるところのロロは、ギアスを使用する際に心臓が止まってしまう。
 そんな人間のギアスが暴走してしまったら――結果は、火を見るよりも明らかだった。
「使っているのか?」
 森閑と凍えるように聞こえる声。
 ロロは一瞬ゾクリと寒気を覚えたが、おそるおそる覗いてみたルルーシュの眼差しは、身内の者を心配している厳しさだけに満ちていた。
 安直に、喜んでいい場合ではない。
 それがわかっているにもかかわらず、ロロは込み上げてくる万感を隠し切れなくて。
 嬉しさを噛み締めるために、さりげなくテーブルの上に視線を落とした。
「使ってない。――けど、V.V.の予測では、いつ暴走しても可笑しくない程度の時間は経過しているからって……だから、覚悟は必要だろうと先生にも言われてる」
「そうか」
 残念ながら、それに関しては、C.C.もほぼ同意見だった。
 ロロにギアスを与えたのはV.V.だったが、C.C.もギアス嚮団の嚮主であった当時、おびただしい人数のギアス能力者を生み出している。
 シュナイゼルは、生存している全員の抹殺を希望していたが、ルルーシュの提案により、シャルルのギアスを使って全員の記憶を封じている。
 妙なところでルルーシュの経験が役に立った形だが、ロロは自分の口で、そうした生き方を否定した。「兄さんと一緒に暮らしていた頃の記憶を失くしてまで、生きていたって意味がないから」と。
 ずいぶん不器用な生き方を選んだものだとルルーシュは思ったが、既に一度シャルルのギアスで記憶を奪われている経験があるからこそ、なんとなくロロの心中は察せるような気がしていた。

「なら、今のうちから、死ぬ気で制御の方法を身につけておくべきだな。例の管理人とは、定期的に話をしているのだろう?」
 ルルーシュが訊ねると、ロロは真面目な表情で頷いた。
 単なるギアス能力者に過ぎないロロが、Cの世界の管理人と会話する機会をセッティングしたのはC.C.だったが、ルルーシュはあくまで自分の提案としてロロには伝えている。
 しばらく沈黙を守り続けていたロロは、やがて思いつめた顔をして話を切り出した。
「兄さんは、完全に制御の方法を身につけているんだよね?」
 ルルーシュは、さりげなく視線を外しながら「そうだな」と頷いた。
 ロロは、テーブルの上に乗せていた両手をギュッと握り締めながら、用意しておいた言葉を舌の上に乗せさせた。
「なら、どうして兄さんまで、頻繁にあの人のところに通う必要があるの?」
「……………」
「やっぱり兄さんは、V.V.の――」
「ああ、そのつもりだが?」
 皆まで言わせず言葉を遮ると、何やら悔しげに下唇を噛んだロロが、「そう…」と力なく視線を落とした。
「そんなに義姉さんのことが大事?」
 ロロがC.C.のことを「義姉さん」と呼ぶにはワケがある。
 C.C.が自分でそう呼べとリクエストしたのだ。
 もっとも、各人の間には膨大な量の誤解がある。
 初顔合わせで「C.C.」と呼び捨てにされたことにムカついたC.C.が、「お姉さまと呼べ」とロロに命令したのだ。いっそ「女王様とお呼び」と命令するような雰囲気で。
 その反応を、きわめて計算高く好意的に解釈したロロは、ルルーシュに媚を売るのが目的で、何の抵抗もなく「ねえさん」と敬称してやっているわけだ。
 何の疑問もなくC.C.に懐いているナナリーに比べて、ロロは絶対的な警戒心をC.C.に対して抱いている。
 ギアス嚮団の嚮主時代のC.C.の姿を、実際にその眼で見て知っているせいだ。
 畏怖の情を抱いているというよりも、単純にその感情は排斥の部分がより強い。
 ロロにしてみれば、V.V.もC.C.も同じような存在なのだから当然だ。
 しばらくじっと冷静にロロの視線を正面から受け止めていたルルーシュは、じきにフッと小さく息を洩らすと、ふわりと優しく包み込むように微笑んだ。
「あいにく俺も、おまえの考えているほど物好きではないからな。アイツのためというよりも、これは俺自身のけじめのためだ。近い将来シャルルが死ねば、V.V.は本気で何をするのかわからない。そんな相手に、あんな物騒なものを渡しておくわけにはいかないからな」
「なら、ひょっとして、義姉さんのことも監視しているだけ?」
「いや、アイツにその必要はないだろう」
「どうして、そう言い切れるの?」
 兄さんは、あの魔女の素顔を知らないから――口ではなく、ロロの真摯な視線が内心を物語る。
 それを、呆れたように受け止めたルルーシュは、「今のアイツは、生きる喜びを知っているからさ」と答えた。
「今のおまえみたいにな」
「――、あ……」
 遅ればせながらに、ルルーシュの言葉の意味を理解したロロが、思わず知らず息を呑む。
「おまえの過去を全部調べたわけではないからな、あんまり俺も無責任なことは言えないが。少なくとも、今ある感情を投げ打ってまで戻りたい過去でもないだろう? 俺の力では過去の記憶を消してやることは出来ないが、生きているのが愉しいと思えるような記憶なら、いくらでも与えてやることが出来るんだ。その点、アイツも同じだよ、ロロ。アイツも自分なりに、今は少しでも愉しんで生きるための方法を模索している最中だ。――まァ、もっとも? アイツの場合、もう少しくらい真剣に考えてみたらどうなんだ? とハッパをかけてやりたい気もするけどな」
 ちょっと、しゃべりすぎた――そう言わんばかりに、ルルーシュはいささか唐突に口を閉ざした。
 ロロは、不思議そうな面持ちでルルーシュの横顔を凝視する。
 ナナリーの存在をルルーシュの記憶から駆逐するために、他人から命じられて、偽りの兄弟を演じていたはずの自分が。
 今では本気でルルーシュの将来を心配し、ルルーシュもまた本気で自分の身を心配してくれている。
 少なくとも、その実感を信じられるだけの手応えは、この一年のうちに手に入れられていた。
 物理的に、眼に見える何かを手に入れられたわけではないけれど。
 それでも実際、「家族」という言葉を胸の内側に意識するだけで、勝手に心が温かくなってしまうような感情を棄ててまで、昔のような生活に戻りたいとは、ロロは微塵も感じない。
 戻りたいどころか、お願いだから、このまま一生、僕のことを見捨てないで欲しい――と、ルルーシュに懇願したいような気分でいっぱいだった。
 けれども、それではまた、ルルーシュに愛想を尽かされてしまうだけだから。
 だから、ロロは笑った。
 内心では、嬉しくてちょっと泣きたい気分だったけれども。
 せっかくルルーシュと一緒にいるのに、泣いている時間がもったいないと思ったから、無理にでも明るい表情を作って笑った。

「で、義姉さんとは相変わらず上手くいってるの?」
「――ぐ…っ」
 思わぬ反撃を受けてしまったルルーシュは、思わず軽く仰け反りながら息を詰める。
 ロロは一見したかぎりでは、春の木漏れ日のような人の良い顔つきをして見せているのだが、どう見ても瞳の奥には悪戯な気配が宿っていた。
 何を隠そう、ロロの養子縁組に誰より積極的に動いたのはマリアンヌだった。
 実子であるルルーシュとは一風変わって、リスかレッサーパンダのように愛くるしいロロの存在を、マリアンヌは単純に面白がっているのである。
「親子のコミュニケーションは大切でしょう?」なんて取ってつけたような口実で、Cの世界には必ずマリアンヌが同行しているのだが、どうやらその最中に、有ること無いこと好き放題にロロの耳に吹き込んでいる様子で。おかげでロロは、ナナリーでさえ知らない裏の事情まですっかり詳しくなっていた。
 一転して窮地に追い込まれてしまったルルーシュは、大人げないことこの上なく、不機嫌そうに顔を顰めると、身体の位置ごと視線を外してしまった。
 顔の下半分を覆い隠している頬杖のせいで、ロロの位置からはルルーシュの表情を確認することが出来ない。
 ルルーシュのことだから、てっきり「生意気を言うな」とでも言い返して、あっさり受け流すだろうと思っていたロロは、予想外の反応に戸惑いの色を隠せない。
 かなり迷って、ずいぶん悩んで、ものすごく逡巡した後にポツリと名前を呼んでみた。
「……………兄さん?」
「何だ?」
 完全に喧嘩腰で返される声。
 ああ、やっぱり、自分のような存在が調子に乗るには百万年早すぎたんだと、日本海峡の荒波にザブリと洗われる勢いでどっぷり落ち込んでしまったロロは、そのまま消え入りたい気分で俯いた。
 その様子を、テーブルを挟んだ向かい側から盗み見ていたルルーシュは、不機嫌丸出しの表情で大きく嘆息して見せると、視線を外したままロロのひたいを突然ピシャリと叩いた。
 ロロは、痛みよりも、驚きに眼を見開く。

 ――に、兄さんが、僕に……デコピン?

「こんなことぐらいで落ち込むなら、最初からやるな」
 唸るような低音で言いながら、そこはかとなく羞恥を含んでいるその声音。
 よく見れば、ルルーシュの眼の淵がしっかり赤く染まっていた。
 それを見つめるロロのほうこそ、叩かれたひたいを両手で押さえたまま、カァッと首筋まで赤くなっていくのを止められない。
 あまりの恥ずかしさに、思わずギアスを使って即座にこの場から逃げ出したいほどだった。

「…っご、ごめんなさい…っ」
「だからと言って、謝るな! ――ナナリー!」
 扉の向こう側から、突然クスクスと少女の笑い声が聞こえてきたので驚いた。
 それよりもっと驚いたのは、ルルーシュがナナリーに対して怒鳴って見せたことである。
 目の前にいたロロのほうがビクリッと飛び上がってしまったが、やがて扉の向こう側から姿を現したナナリーは、至って平然としたものだった。
「そんなに大きな声を出されて、どうかされましたか、お兄さま?」
「どうかしているのは、ナナリーのほうだろう。いつまで盗み聞きを続けるつもりだ?」
「――え、…っええ?!」
 ロロは、視線の先を右往左往させながら、動揺の色を隠せない。
 何しろ、ナナリーには、ギアスやコードに関する一切が秘密のはずなのだ。
 慌てふためきながらルルーシュの表情を窺ったが、考えてみればルルーシュは、具体的な名称を一切口にせず、話をしていたことにロロもすぐに気づいた。
 余計なことを口走らないように、思わずグッと息を呑みながら、自分を落ち着かせるように努力する。
 その様子を、チラリと一瞬横目で眺めたルルーシュが、優しく笑んだような気がしたが――あんまり良くわからない。次の瞬間には、ナナリーに向かって話を続けていたから。
「兄妹で仲良くするのは結構なことだがな、あんまり勝手を言って、ロロを困らせるんじゃないぞ、ナナリー。コイツにまで、俺の心配性が移ってる」
「まァ、人聞きの悪いことを言わないでください。お兄さまの場合、私の心配をするのが、ほとんど趣味じゃないですか」
 トレイに載せて運んできたお茶の用意を、さりげなくルルーシュに押しつけたナナリーは、当然の顔をしてロロの隣に腰を下ろした。
 ルルーシュも当然の顔をしてそれを受け取ると、てきぱきとサーブする合間に、ロロに向かって憎まれ口を叩いた。
「ほら見ろ、おまえがあんまり甘やかすから、最近ちょっと付け上がっているんじゃないのか?」
「そんなこと、有り得ません。お兄さま以上に、私を甘やかすだなんて大それたこと」
「そんなに言うほど、最近は顔を合わせてないだろう? ――それとも、何か? ひょっとして最近は、別の女が独占しているから拗ねているのか、ナナリー?」
 それを言うルルーシュの表情の、何と人の悪いこと。
 からかうように眼を細め、口元には愉悦気な笑みを浮かべて見せている。
 それに対して、ナナリーは堂々と宣言したものだ。
「そうですね。ってお答えしたら、もう一度、私と一緒に暮らしてくださいますか?」
「さァな、それはどうだろう。少なくとも、アリエスの離宮に戻るのだけは勘弁願いたいが」
「まァ、子供みたいなお兄さま」
「あんな奴らの機嫌を取るくらいなら、一生子供のままで結構だ」
「認めてください。お父さまなりに、考えがあってのことです」
「何を認める必要がある? それを言うなら、俺なりに考えがあってのことだ。誰にも文句は言えないはずだな?」
「もちろんです。そして私にも考えがありますから、お逃げになるのはお兄さまの自由ですわ」
「――あ、あのっ…」
 バチバチと眼に見えない火花が散っている。
 話をしている相手は、ナナリーのはずなのに。
 慌てふためきながら口を挟んだのは良かったが、バチバチ火花を散らしながら同時に振り向いた兄妹が、たまりかねた様子で同時に吹き出してくれるので、ロロにはもう何がなにやら。
「…っえ、ええっ?! …あっあの、……兄さん? ……ナナリー?」
 ロロは、オロオロしながらルルーシュとナナリーを交互に見比べたが、なぜだかナナリーは、肩を震わせながら机の上に突っ伏してしまっていて。
 ルルーシュは、しかつめらしく「失礼だぞ、ナナリー」と苦言を呈しているのだが、ロロの目前に差し出している紅茶のカップがブルブル小刻みに震えていた。
 それでようやく事態を把握したロロは、礼も言わずにルルーシュの手から紅茶のカップを奪い取ると、ミルクピッチャーからどばどばミルクを注いで、飲み頃にした紅茶をグイッと一気に飲み干した。
 食道が焼けるかと思うくらい熱かった。
 それでも、腹の底から込み上げてくる羞恥を我慢するよりもマシだった。
「怒るな」
 すっかり他人事のルルーシュは短く言って、ロロの手元から紅茶のカップを引き取ると、今度は最初からミルクティーにしたカップをロロに返した。
 ロロは、受け取りもしないで、顔中を真っ赤に染めた上目遣いでルルーシュを睨み返した。
 けれども、ルルーシュはロロが受け取るのを待たずに、ロロの目前に紅茶のカップを置いてしまうと、空いた手のひらで、机の上に突っ伏したままのナナリーの後頭部をクシャリとかき回した。
「ナナリー?」
 さっきまで笑っていたはずのナナリーは、泣いていた。
 それに気づいていなかったロロは、驚きに思わず息を呑む。
 コクコク小さく頷きながら、じきに顔を上げたナナリーは、ルルーシュの差し出したハンカチを受け取ると、恥ずかしそうに笑いながら顔の上の水分を拭き取った。
 角砂糖を三つ入れたミルクティーをクルクルかき回してからナナリーの手元に置いたルルーシュは、自分も同じように甘くしたミルクティーを口元に運びながら吐息で微笑む。
「兄妹の存在意義は何だと思う、ロロ?」
「――え?」
 突然の問いかけにロロが驚きながら振り向くと、伏し目がちに瞳で笑んだルルーシュが、上目遣いに視線を返してきた。
「絆だよ。たとえ殺したいと思うほど憎み合っていても、その絆だけは決して断ち切ることが出来ない」
「……………」
「大切であるがゆえに、俺とナナリーは、誰より理解の遠い場所にいる他人だった。お互いしか存在していなかったから、傷つけたくなかった。失いたくなかったから、守ることばかりを優先的に考えた。おかげで、おまえでさえ知っている俺の本心を、今でもナナリーは何も知らないし、その逆もまた然りだ。だから、今からでも、互いを知るための努力を続けている。どうせなら、おまえも一緒に真似をすればいいんだ」
「――ぼ、ぼくも?」
 何の話をしているのか、実のところ言葉の半分もロロにはわからない。
 妙なぐあいに、心臓が激しく動悸していて、耳の穴から話がすり抜けていくせいだ。
 ルルーシュは、ゆっくりと噛んで含めるような話し方で、どうでも良さそうに話を続けている。
「とりあえずおまえは、俺を本気で叱り飛ばすくらいの図々しさを手に入れたほうが良いと思うぞ?」
「にっ、兄さんを――叱ッ…そ、そんなのムチャだよッ!」
「どうしてだ? ナナリーに対してだって、そうだ。ムカついたなら、遠慮なく叱り飛ばしてやると良いんだ。それで破綻するような関係なら、ナナリーの器が小さいだけの話だ。少なくとも俺は、おまえを家族と認めてる。おまえが変に遠慮したままだと、いつまで経ってもナナリーの尻に敷かれたままだぞ?」
「まァ、まるで最近までの、お兄さまのようですね」
「ああ、まったくだ。おかげで最近は、ナナリーと喧嘩をするのが愉しくて」
「お兄さまのいじわる」
「おまえだって、愉しんでるクセに、よく言う」
 互いに甘えているような話し方で愚痴を言う。
 何だか見ているロロのほうが恥ずかしくなってきて、カァッと頬を赤く染めながら、紅茶のカップの上に視線を落とした。
「――あ」
 そしたら、横からナナリーの手が伸びてきて、紅茶のカップの中に角砂糖が四個。
「お兄さまは知らないでしょう? こう見えて、ロロお兄さまは甘党さんなんです」
「そうなのか? しかし、それでは砂糖の味しかしないだろう?」
「ねえ? もっと言ってやってください」
「――み、三つも四つもあんまり変わらないじゃないですか!」
 放っておくと、兄妹で結託して、また何を言われたモンだかわからない。
 ロロが憮然と顔を顰めながら、ささやかな反撃に乗り出すと、たちまち笑い出してしまったルルーシュが、クックッと愉しげに肩を揺らしながらロロの頭をクシャリとかき回した。
「その調子だ」
 恥ずかしさに、ちょっとどうしていいのか分からなくなってしまったロロが、オズオズと視線を上げると、横からナナリーが抱きついてきたので驚いた。
「男同士で、イチャイチャしないでください」
「馬鹿を言うな。ナナリーが勝手に妬いているだけだろう?」
「失礼な。妬いてなど、いません」
「そうか? その割りに、ふくれっ面だがな」
「喧嘩を売っているんですか、お兄さま?」
「フン、一人前に。そうだと言ったら、どうする?」
「もちろん。喜んで、受けて立って差し上げますわ、お兄さま」
 喧嘩をするほど仲の良いのは何よりだったが、お願いだから自分を無理やり巻き込まないで欲しいとロロは痛切に思った。



◇ ◇ ◇




「おかえり、ルルーシュ。早かったな? 晩飯の用意はこれからだぞ?」
 数時間後、ルルーシュが帰宅すると、それに気づいたC.C.が、リビングからひょっこり顔だけ覗かした。
 どうやら怒ってないらしいと判断したルルーシュは、奇妙なもので、少しだけ肩すかし感を味わっている自分に苦笑を洩らした。
 基本的に、C.C.が何に対しても無頓着なのは知っている。
 それでも、自分で誘っておきながら土壇場でキャンセルしたわけだから、恨み言の一つくらい言われても仕方がないと覚悟を決めていた。
 それなのに、ここまであっさり受け流されてしまうと、『結局、俺との約束なんか、どうでも良かったのか?』と逆に憎まれ口の一つでも叩きたいような気分になってくる。
 どうも最近の俺は、何かにつけて文句が多すぎるな――と、反省しながらリビングに足を運ぶと、C.C.は机の上に参考書を広げて、勉強をしている最中だった。
 一時期あんまり暇を持て余していたC.C.が、一日に何十通もメールを送って、カレンの生活を邪魔したので、業を煮やしたカレンが、「アンタも、資格の一つでも取って見なさいよッ!」とC.C.に勧めたのだ。
「だったら、車の免許でも取ってみるか」とC.C.は素直に勉強を始めたが、あいにく本籍の存在しないC.C.に免許など取れるはずもなかった。
 仕方なくC.C.は、大学入試を目指して勉強を始めることにした。
 もちろん、実際に受験する資格は持っていない。
 だから、世界に存在している大学の、過去の入試問題を片っ端から集めて解いている。
 自力では解答に辿り着けなかった設問のジャンルを、後になって掘り下げて勉強を始めているから、効率的なのか何なのか。とにかく、誰の邪魔にもならない良い暇つぶしになっているようだった。
 真剣に問題を解いている横顔に、ルルーシュは少しのあいだ見蕩れていたのだが、本人にはその自覚が無い。
 C.C.は気づいているのだが、やっぱり頓着しなかった。
 問題を解き終わったところで、チラリと視線を上げると、鷹揚に頷いたルルーシュが、「合ってる」と静かな口調で呟いた。
「晩飯な、ナナリーたちと外で食ってきた」
「何だそれは? そういう時こそ、メールで知らせて来い」
「わるかった」
「フン、殊勝だな。コーヒーでも飲むか?」
「ああ、そうだな」
 淡々と答えながら、なんとなく、すぐには離れがたい気分だったルルーシュは、首の後ろで一つに纏めているC.C.の髪に指先を絡めた。
 無粋な黒ゴムを何の断りもなく外してしまうと、絹糸のように細くしなやかな緑の髪を丁寧に手櫛で梳き始める。
 少しだけ意外そうな顔をしてクスリと笑んだC.C.は、そっけなくきびすを返した。
 C.C.の歩みに従って、指の間を、冷たい髪の感触がスルリとくぐり抜けていく。
 ルルーシュは一瞬それを握り締めたい衝動に駆られたが、実行に移すより先に、甘い花のような匂いを残して、C.C.の背中はキッチンの向こう側に消えていた。
 誰より理解の遠い場所にいる他人――。
 そして、ここにもまた一人、他人がいる。
 誰より、自分に近しい場所に存在している『共犯者』。
 共犯して何かに従事する必要が無くなっても、相変わらずその関係を続けているのは、『共犯者』という関係が今の二人に対しても都合が良いからだ。
『共犯者』という一言で、いつまでもC.C.を自分の掌中に引き止めることが可能なら、いくらだってその役割を演じ切って見せるとルルーシュは思う。
 C.C.がそっけないのはいつものことなのに、いつになく落ち込んでいる自分に気づいて、『ひょっとして俺、C.C.に惚れているのか?』と自分でもイマイチ煮え切らない感じのする思いの淵に沈み込んでいきながら、ルルーシュは着替えるためにクローゼットの前まで移動した。

「――ん?」

 それは、ほんのわずかな違和感だった。
 何だか微妙に、配置が変わっているような感じが――する?
「……………」
 着替える頻度の都合上、ウォーク・イン・クローゼットの手前側が、ルルーシュの領域。
 その奥が、C.C.の領域になっているのだが、今朝方目にした時よりも、やっぱり何着か順番が入れ替わっているのに気づいた。
 なぜだかトクリと頬に血が上ってしまうのを感じながら、ルルーシュはシャツの類いを仕舞ってある箪笥の中身を確認した。
 洗濯をして干しているのはC.C.だが、アイロン掛けをして畳んで箪笥に仕舞うのはルルーシュの役割分担だった。
 見てみると、案の定十枚近いブラウスが、かなり雑然と畳み直してあった。

「――ひょっとして、アイツ……」

 俺と出かけるのを、愉しみにしていたのか――?
 そう、思った瞬間に。
 自分でもワケのわからない衝動で、耳朶まで一気に赤くなってしまったルルーシュは、そんな自分の反応に動揺する。
 ドクン、ドクンとこめかみの辺りで激しく動悸していて、あまりに過剰な反応に思わず一瞬呼吸の仕方を忘れた。
 だったら、もう少しくらい素直に残念そうな顔の一つくらい見せてくれてもいいだろう? と恨みまじりに思ってしまうが、そういうのを見せないところが、ルルーシュには理解しがたいC.C.独自の美学でもあった。
 そして自分は、素直でない女の愉しみを台無しにしてしまったのだ。
 それでも、ナナリーたちと過ごした時間も有意義なものだったので、後悔する気は毛頭なかった。
 ルルーシュは、即座にきびすを返すと、いつになく気持ちが急いているのを自覚しながら、足早にC.C.の元に向かった。



◇ ◇ ◇




 ブルー一色にライトアップされた大水槽。
 地上から180度に広がるオープンビューの海中トンネルで、外洋性のサメやエイ、イワシの群れなどが自然と同じ状態で優雅に夜の時間を愉しんでいる。
 水槽の前には等間隔でカップル用にラブソファが設けられており、その一方に腰を下ろしているC.C.は、口を半開きにしたまま茫然と目前の光景を見上げている。
「……何か、こういうのを見ていると……オレンジのことを思い出すなァ」
「ジェレミアの?」
 ソファの上で膝を抱えた寛いだ姿で、ジン・トニックを舐めていたルルーシュは、突然出てきた男の名前に眉を顰める。
 その隣でカルアミルクを飲みながら、ポテトチップスを齧っていたC.C.は、フフフと意味深に横目で微笑みかける。
「神根島で一緒に海中遊泳を愉しんだ話はしたろう?」
「ああ、アレか」
 ――ガウェインで。
 V.V.に誘拐されたナナリーを連れ戻すために、神根島の遺跡に向かったルルーシュを援護するために、C.C.は単身でジェレミアと対峙した。
 その後のいきさつは、ルルーシュも一度だけ耳に入れていたのだが。
 当時は、ナナリーの救出だけに専念していたので、今ほどC.C.の話に注意を払っていなかった。
 思っている最中にも、すぐ目前を体長1メートルほどのサメが悠然と横切っていき、C.C.はそれを指差しながらクククッと愉しそうに微笑んだ。
「アイツらには、どうも私はご馳走に思われたみたいでな、中々モテまくって大変だったぞ?」
「……よく無事だったな?」
 思わずジン・トニックに()せそうになりながら、呆れたように隣を眺めると、アルコールにほんのり頬を染めているC.C.は、チーズ味のポテトチップスをパリリッと前歯で美味しそうに齧った。
「ショック・イメージが効かなかったら、正直オダブツだったと思うがな。半径10メートルにいる奴らが全員、油で素揚げする時みたいにボコボコ浮かんでいくから、サメ以外の奴らにはちょっと可哀想な気もしたが。中々有意義な体験だったぞ?」
「有意義ねェ……」
 その頃ルルーシュはスザクに捕まり、約一年間記憶を失くしてしまう羽目に陥ってしまうわけだが――
 過ぎてしまうと、随分と遠い記憶のように感じてしまう。

 あの後「いまさら出かけるのは面倒くさい」と渋るC.C.をせっついて、強引に外に連れ出すことに成功したルルーシュは、夕食がまだだったC.C.に付き合って軽い食事を済ませると、ナイト・ビューイングを愉しめる最寄りの水族館へと足を運んだ。
 最初から、買い物というのは口実で、たまにはC.C.と連れ立って外出したいだけだったので、遅ればせながらに目的は叶ってしまったわけだが。
 その意図を、まったく理解している兆しもないC.C.は、単純にルルーシュの気まぐれを愉しんでいる様子だ。
 気が向かないことに関しては、頑として頷くことを知らないが。
 C.C.の価値観的にどうでもいいことに関しては、案外C.C.を思いのままに動かすことは簡単だ。
 だから、何の説明もなく同居を初めて、もう一年と三ヶ月が経過している。
 このまま放置しておいても、おそらくC.C.は、10年でも20年でも何の疑問もなく自分と一緒に過ごしているのだろう。
 一時期は別にそれでも構わないような気もしていたが。
 どうも最近、ルルーシュのほうが、単純にそれだけの関係では物足りないような気分を味わい始めているような状況だ。
 こっそりC.C.の横顔を盗み見ていた視線の先で、5メートルほど離れた別のソファで、恥も外聞もなく盛り上がっているカップルが濃厚なキスシーンを展開しているのに気づいて、ルルーシュは慌てて視線を外した。
「――ん?」
 ルルーシュが突然、赤くなったのに気づいたC.C.が、遠慮なく振り向いて原因を確かめると、ニヤニヤ笑いながら横腹にグイグイ肘鉄を繰り出した。
「エロガキが。お子様には、刺激が強いか?」
「うるさいな」
 ますます顔を赤くしながらルルーシュがそっけなくあしらうと、クスクス笑いながらC.C.はスクッと勢いよく立ち上がる。
「ルルーシュ、ペンギンだ。クラゲでも良いな、何かこう…心温まるものが見てみたい」
 ペンギンはともかく、クラゲのどこを見て心温まるのだろう? とルルーシュにはイマイチ理解できなかったが。
 たしかに、ムード満点のこの状況で、呑気にサメに食われそうになった話をしている自分たちは場違いであることを理解して、さっさと歩みを進めているC.C.の後におとなしく従った。



◇ ◇ ◇




 夜間の水族館に足を運ぶ客は、もちろんカップルだけに限定した話でなく、家族連れや、友人同士で連れ立って、好みの水槽の前で好きなように寛いでいる姿がそこら中に点々と見られた。
 水族館側の配慮で、申し入れれば毛布を貸してくれるので、床の上に直接横になり、うつらうつらと惰眠をむさぼっている客の姿も少なくない。
 もっとも、
「おい、ルルーシュ見てみろ。三杯酢でシメたら美味そうなのが泳いでいるぞ」
 と、イワシの大群の前で言い、
「おーおー、スルメが生前の姿で泳いでいるぞ」
 と、剣先イカの前で言い、冷やかし半分ではしゃいでいるのは、ルルーシュの同伴者くらいのものだが。
 こらえ切れずに、クスクス笑っている女性客の前を顔を赤くして横切りながら、ルルーシュはグイグイC.C.の手を引っ張って、目当てのペンギンブースの前まで足を運んだ。
 もっとも、そこでも期待したような歓声は引き出せず、地を這うような低音でしみじみ吐き出してくれたものだが。
「何だ、つまらん。眠っているじゃないか」
「まァ、さすがにこの時間じゃなァ」
 家を出た時間が遅かったので、気がついてみれば、とっくに22時を回っていた。
 天然の氷山を模したコンクリート・ジャングルで、七羽ほどの王様ペンギンが同じ格好で眠っている。
 ペンギンは立ったまま眠るのだ。
 ある者は、八の字にゆるく羽を広げた状態で。またある者は、中途半端に羽を曲げた状態で――と細部に至ってはマチマチだが、全員が180度右向きに首を傾けて、身体にぴったりくっ付けている状態で、脇の下にくちばしを突っ込んで眠っている。
 たしかに、動きの見られない分、面白味には欠けるかもしれないが、ぬいぐるみのように丸々としているペンギンたちが直立不動で眠っている姿を眺めるのは、中々心安らぐ光景ではないだろうかとルルーシュは思った。
「――こら、待てC.C.」
 なんとなくほのぼのと見入っていたルルーシュの隙をつき、さっさと興味を失くして、次のブースに向かいかけていたC.C.をとっさに引き止めると、腕の中に捕まえて後ろ抱きにしてしまう。
 腕を掴んだだけではC.C.が抵抗したので、気づいた時にはそうなった。
「あんまり先を急ぐな。おまえだって、こういうのが見たかったんじゃないのか?」
「……むぅ~、……たしかにまァ、そうだがな」
 C.C.が先を急ぎたがっている理由は知っている。
 ルルーシュたち以外に、客の姿が無いからだ。
 日中なら人気の高いブースも、夜間は眠っているペンギンに配慮して、淡いブルーに照明を落とされた単なる岩場が広がっているだけだったので、たまに背後を通りかかる人の姿を見つけても、立ち止まる客の姿は皆無だった。
 今までさんざん二人きりで過ごしているわけだから、いまさら変に意識して見せるC.C.が、正直ルルーシュには意外だった。
 少しくらいは脈があるのだろうかと、ちょっとだけ落ち着かない気分を味わいながら、あえて気にしない素振りを装うと、ちょうど良い場所にあるC.C.の肩の上に顎の先を押しつけた。
「可愛いな」
「……な、なにが?」
「ペンギン」
「……たしかにそうだ」
 明らかに頬の温度を上げながら、四角四面に答えるC.C.の態度が可愛い。
 素直にそう言えば、迷わずルルーシュを足蹴にして逃げ出すことがわかり切っているので、ルルーシュはおとなしく腕の中に抱えたC.C.の体温を愉しみながら、眠っているペンギンの姿を眺めて愉しんだ。
「あ、見てみろ、ルルーシュ」
「うん?」
「あそこにヒナがいる。一羽、二羽、……へぇ~、ヒナは首を曲げずに寝るんだなァ~。フフッ、可愛い」
 おそらく溺死の心配を避けるためだろう。岩場の奥にある小部屋に隔離されているヒナたちは、全身が灰色で本当にぬいぐるみのようなモコモコの姿で、くちばしを空中にツンと上げたまま目を瞑って眠っている。
 アレならC.C.が今でも溺愛しているチーズくんよりも、よっぽど可愛らしいとルルーシュは思った。
「本来ならば、周り中に切り立った氷河が迫っていようが関係なく、親の集団に囲まれて眠っているはずなんだがな」
 基本的にペンギンは、オスとメスで抱卵し子育てするのが一般的だが、皇帝ペンギンのように、ある程度成長したヒナたちを一箇所に寄せ集め、クレイシュと呼ばれる託児所を設けるような場合もある。
 一般的な鳥類と同じように、比較的親子の結びつきが緊密なのだ。
 だからといって、二羽だけ隔離されているヒナたちの姿に、自分とナナリーの姿を重ねて見ているつもりはない。
 そこまでルルーシュも感傷的(センチメンタル)ではないつもりだが。
 C.C.は冷やかすように横目で一瞬、自分の背中に張り付いている男の表情を流し見て、感傷とは対極に位置している言い回しで、歌うように呟いた。いつも通りに。
「フフッ、まァ仕方がないさ。人間的にアレは、大事な商売道具だ。嫌でも過保護に守りたくもなる。連中にとっては大迷惑でも、その分、飢える心配もなく一生安楽なまま暮らしていけるんだ。文句を言う筋合いもない」
「なら俺が、一生おまえを囲って暮らしたいと言ったら、おまえはそんなふうに割り切れるのか?」
「何だ、いまさら。私が割り切らなくても、おまえがそのつもりなら、勝手にそうするじゃないか。どのみち、百年の寿命と考えても、残り80年の話だろう? それくらいなら、私は別に付き合ってやっても構わない」
 こんな話をしたのは初めてだったが、何の気負いもなくC.C.が答えるとも考えてなかったので、ルルーシュは驚きに思わずグッと息を呑む。
 正直言えばかなり迷ったが、曖昧なままずっと放置していられる話でもなかったので、どうでも良さそうな口ぶりを装いながら話を切り出す。
「……なら、俺がV.V.のコードを引き取ると言ったら?」
「私は、反対だ」
 迷いの無い口調でそう言って、C.C.は肩越しに振り向いた。
「どうしてもその必要があるのなら、私がアイツのコードを引き取ってやる。おまえは、それで妥協しろ」
 そう、――言われるだろうと、思っていた。
 だから、この話をするのは嫌だったのだ。
 わかっていたはずの後悔に、ルルーシュは眼を閉じながら、フーッと大きく息を吐く。
「……要するに、百年程度なら付き合えるが、それ以上は勘弁してくれという意味か?」
「そう受け取ったほうが楽ならば、私は別に否定しないぞ?」
「……………」
「マトモな人間に、不死の人生など耐えられるはずも無い。おまえが後悔する姿など見たくないんだ」
「俺は後悔など」
「しないだろうな。後悔しないための努力を、無意識のうちにも全力で始めるような男さ、おまえは」
「それのどこが悪い?」
 最悪の状況から一挙逆転して、自分に有利に物事の発展を望むのは、ルルーシュの最も得意としていることであり、アイデンティティーにも繋がった。
 誰よりそれを知っているはずなのに、C.C.はしみじみ呆れ返っている口調で言ってくれるのだ。
「おまえな…、せっかく苦労して人並みに幸福な人生を取り戻したんだ。わざわざ自分から、それを投げ打ってどうする? もっと自分を大切にしろと言っているんだ」
「しかし、おまえは」
「私には、いざとなったら『無理やり押しつけられた』という大義名分がある。それ以前に、おまえのおかげで、ずいぶん住みやすい世界も手に入ったことだしな。心配しなくても、今の私なら一人で充分暮らしていける――…って、こら、ルルーシュ! どうして怒るんだ? 事実を話しているだけだろう?」
 眉間に皺を寄せながら批難の口調で言われるが、関知しない。
 ルルーシュは何も言わずに、C.C.の肩口を抱きしめた。痛いほど。
 間の悪いことに、剣呑な雰囲気の漂っている二人の背後を、一組のカップルが興味津々の様子で通り過ぎていく。
「喧嘩中?」と呟いたのは女のほうだった。男は気まずげに声を落として「行くぞ」と足早に去っていく。
 だが別に、他人に見られようが、知った話ではなかった。
 死なない人生を、生きているとは言わない――この気丈な女に、そこまで言わしめた魔女の人生。
 世界が平和になったから?
 ずいぶん住みやすくなったから?
 そんなことくらいで、単純に生きてみる気になったのだと言われても、いったいどこの馬鹿な男が信じる気になれるのだろうか。
 少なくとも自分が、そういう男の一員と判断されているだけでも、ルルーシュには業腹だった。
「――……百年後」
 身体の奥から搾り出すようにして熱い息を吐き出すと、腕の中から逃げ出すことも出来ずに困惑し切っているC.C.が、ピクリとわずかに動揺する気配が伝わった。
 ルルーシュは顔の位置を少しずらすと、C.C.の耳元に落ち着き払っている低音を吹き込んだ。
「その時おまえが、今と同じセリフを言えるなら、俺だってそれ以上おまえに干渉する気はない。……その瞬間を、見極めたいだけの話だ」
「……………」
 空調が、二人の頭上で空気をかき混ぜている音だけが響いている。
 氷河の砕ける幻聴が聞こえてきそうな、完全なる沈黙。
 やがて、それを破ったのは、呆れているようなC.C.の溜息だった。
「……たったそれだけの目的で、V.V.のコードを引き取るつもりか?」
「不満か?」
「大いに不満だとも。コッチは嫌々不死の運命(さだめ)に翻弄されているんだ。『ふざけるのも大概にしろ』と蹴りの一つも入れてしまいたくなる」
 やっぱり嫌なんじゃないかとルルーシュは思ったが、ここでそれを言ってしまうのは、あまりに考えなしの皮肉だ。
 少しだけ気の抜けてしまったルルーシュは、痛くない程度に腕の力をゆるめてやる。

「まァ、たしかに俺も百年も経ったら、また別な目的が生まれているかもしれないが?」
「――……たとえば?」
 一転して明るい口調で言うものだから、それを胡散臭そうに横目で一瞥したC.C.は、噛み付くような低音で訊ねてくる。
 単なる言い逃れに過ぎなかったルルーシュは、「そうだな…」と今更のように考えて、瞬時に思いついた八つの話のうちから、C.C.が一番嫌がりそうな話題をあえて選んで口にした。
「まかり間違って、おまえが俺の子供でも産んでるかもしれないだろう? そいつらの老後を見守るのでも、案外愉しそうじゃないか」
「フン、くだらん。有り得ないな、そんな話は」
「どうしてそう思う?」
「論外だろう? どうして私が、おまえの子供を産まなければいけないんだ?」
 訊くまでもなくわかっていた話だが、それでもカチンと来てしまうものは仕方がない。
「なら、出来ないように配慮するだけの話だ。それなら文句は無いだろう?」
「――…ッ論外だ。どうして私が、付き合ってもいない男に抱かれる必要がある? どれだけ私が寛容でも、そこまで自虐的ではないぞ?」
 そんなふうに考えていたのかと軽く瞠目したルルーシュは、いささか不穏な感じにクスリと声をひそめて微笑んだ。
「なら、付き合ってもいない男と、毎日キスをするのは自虐的でないのか?」
「アレはおまえが……」
「最初から、俺は一度も、無理強いをした覚えは無いんだが?」
 淡々と事実を指摘して見せると、悔しげに唇を噛みながら押し黙ってしまったC.C.は、ややあって反抗的な態度でそっけなくやり返した。
「……別にキスくらい、どうってことは無い。単にそれだけの話だ」
「そうか」
 呟くなりルルーシュは、C.C.の頬に顔をくっつけて、位置を修正しながらキスをする。
 耳の下、頬の上、唇の端ギリギリのライン。
 そこで一度顔を離すと、至近距離から見つめあう。
 朝、出掛けにキスを交わす以外は、一度も交わしたことのないキスだった。
 目元をハッキリ赤くして怒ったような顔をしているC.C.は、売られた喧嘩を買う要領で、かなり無理をして眼を閉じた。
 意地っ張りな女の心理など、少しも汲んでやるつもりの無いルルーシュは、遠慮なく唇を重ねた。
 顎の下、頬のラインを片方の手のひらで囲い込み、やわらかな頬の弾力をさりげなく指の先で愉しんだ。
 何度となく唇の弾力を押し潰し、頃合を見て唇の表面をヌルリと舐め上げると、予想通りC.C.の身体がビクリッと強張った。
「――ルルーシュッ」
「別にキスくらい、どうってことは無いんだろう?」
 そう言えば、C.C.がムキになることくらい知っている。
 案の定、露骨にムッとしたC.C.は、金の瞳を怒らせながら眼を閉じた。
 相手が誰だと思ってる?
 本気で嫌なら、こうした接触を許すような女ではない。
 結局は、無言で気持ちをゆだねてくる。救いようがないほどに意地っ張りな女の口腔内に遠慮なく分け入って、初めて触れる内部の熱さと甘さに、じんわり思考が痺れていくのを感じる。
 独特の、感触だった。そこだけ別な生物のように、忙しなく逃げ回る舌に舌を絡めて軽く吸い上げると、そんなにあっさり捕まるとは予測してなかったらしいC.C.が、喉の奥で「んっ」と批難するような声を洩らした。
 だが、その声を聞かされる男の耳には、なおさら「襲ってくれ」と言わんばかりの甘い声。
 C.C.の首の後ろと後頭部に支えの手を伸ばして抱きしめて、上顎や頬の内側まで丁寧に舌を這わして舐め上げると、いつしかルルーシュのシャツの胸元を握り締めていたC.C.の指先に、グッと力が入るのを感じた。
「……嫌か…?」
 わずかに口を離して訊ねると、反射的にフルフルと首を横に振って答えてしまったC.C.が、ハッとすると、焦りの色も露わに「ちがっ…」と小声で否定した。
「却下だ」
「ぁむっ、ぅんん~っ…」
 観賞用のガラスの仕切りを守るため、腰丈の鉄柵が設けてある。
 そこにC.C.の腰を押しつけて、いつしか正面から抱き合いながらキスを交わしていた。
 力の入らない指先が、無我夢中の感じで背中に縋り付いてきている。
 その感触を味わうのすら心地好く、ルルーシュはC.C.の後ろ髪をグチャグチャにかき回しながら、しばしの間、時の経つのを忘れていた。
 C.C.の熱い吐息に翻弄されながら、甘い唾液に濡れた舌先を思う存分に食む気持ちよさに、次第に頭の片隅で理性の働きが停滞していくのを感じながら、何度目かのチャレンジで辛うじて自分を押し留めることに成功したルルーシュは、ちゅぷりと濡れた音を響かせながら口の中から舌を抜き取ると、C.C.の頬の上に過剰なくらい強く唇を押しつけた。
 すぐには離れがたかった。
 腕の中に抱きしめている体温が、さっきよりも少しだけ高じているのを感じている。
 身体的な変化は、もちろん別な部分にも影響していたが、かなり無理をして意識しないように努力すると、カツカツと聞こえ始めた人の足音に背中を押されるようにして、二人はその場から立ち去った。



◇ ◇ ◇




 とても星の綺麗な夜だった。
 なんとなく無言のまま、最寄りの駅に辿り着いたところで、23時過ぎ。
 意外に人の多いことに気づいて、『そういえば、金曜日だったか』と今更のように考える。
 視界の端に互いの存在を意識するだけで、勝手に火がついたように顔が赤くなってしまうので、傍目にも不自然すぎるくらい別々の方向を眺めて歩きながら、それでも辛うじて手だけは繋いでいた。
 会社帰りのサラリーマンや、これから夜遊びに繰り出すのだろう学生たちで賑わっている駅のコンコース。
 やがてホームに滑り込んできた電車の車内には、ひとり分だけポツリと席が空いていたので、乗客のほとんどが睡魔に放心しているような車内で、ルルーシュ一人だけが立ったまま、目的の駅まで15分ほどの時間をやり過ごした。
「……………日曜日」
「うん?」
 いつしかルルーシュも、立ったままぼんやりしていた静かな車内で、耳に心地の好いC.C.の小声が低く囁く。
 車窓からゆっくり通り過ぎていく夜景を眺めていたルルーシュが、それに釣られて視線の先を落とすと、C.C.は買ってもらったイルカのぬいぐるみを両腕で抱きしめながら、適当な場所に視線の先を逃していた。
「カレンがウチに遊びに来るそうだ」
「そうか」
「適当にケーキの作り方を教えてやってくれ。簡単なもので構わん」
「わかった」
 きわめて淡々と会話を交わして、電車を降りる際には、どちらからともなく再び手を繋いでいた。
 ルルーシュのほうから促がしたような気もするし、入れ違いで乗り込んできた乗客に押されて、たまたまそうなっただけのような感じもしている。あんまり良くわからない。ただ指先に触れているC.C.の手のやわらかさが気持ち良かった。
 ルルーシュにしては珍しく、系統立ったことは何ひとつ考えないままに、ゆっくり夜道を辿りゆく。
 駅を抜ければ、すぐ目前にそびえ立っている35階建てのマンション。
 ルルーシュたちが住まいにしているのは最上階の一室限りだが、呆れたことに丸々一棟分がルルーシュの持ち家なのだった。
 他の住人とは、分譲ではなく最初から満室状態で賃貸契約が結ばれていたので、月々の家賃収入だけでも相当な額になる。
 ナナリーの生活を軌道に乗せてやるのが最優先だったから、ルルーシュ自身も迷いなく進学の道を選んだが。大学卒業後しばらくは、気持ちの整理も兼ねて、どこでもいいから気ままな旅にでも出かける算段を立てていたので、思わぬところから余計な邪魔が入ってしまった形だ。
 おそらくマリアンヌのことだから、シャルルが壮健であるうちに孫の顔でも見たがっているのだろうが。相変わらず、こちらの事情など一切構わずに、好き放題に振り回される一方の子供の気持ちも少しくらいは考えて欲しいと切に願ってしまう。
「――……なァ、C.C.?」
「……ん~?」
 星空を見上げながら呟くように訊ねると、同じように隣で空を見上げているC.C.が、覇気の無い声で返事をする。
 一時期レポートの提出に追われていたルルーシュが、昼飯の時間をあっさり犠牲にしているのに気づいて、「弁当を作ってやろうか?」と切り出してくれたのはC.C.だ。
 それ以来、平日は毎朝6時起きの生活が続いていたから、ひょっとすると、もう既に眠いのかもしれない。
 C.C.の価値観の許す限り、何をしても鷹揚に受け止めてくれる女のいてくれる心地好さ。
 その存在が、あんまり心地好いものだから、頭の芯がわずかに麻痺しているような状態で、ただ闇雲にやり過ごしてきた一年と三ヶ月。
 出来ることなら、このまま何にも気づいてないフリを装って、曖昧に放置しておきたい気もするけれど。
「さっきはあんなふうに言ったがな、この際難しい話は別にして、一緒にいるのが心地好いから、このままおまえの隣でのんびり人生を傍観して見たい。――単純に、それだけの話なんだがな。おまえは、そういうのは迷惑か?」
「……そうだなァ……」
 答える前に一瞬黙って、吐息に交えて呟いたC.C.は、悩んでいるのか、ぼーっとしているのかわからない沈黙を挟んで、やがてゆっくり口を開いた。
 マンションの影に隠れて、鋭く尖った三日月が見えなくなってしまう。
 その代わり、一面の夜空に瞬いている小さな星の数々。
「正直言えば、私は別にどっちでも構わない。おまえが傍にいなければ、私は世界を傍観する旅に出かけるだけだし、おまえが傍にいるからといって、私の何が阻害されるわけでもない。……どっちでもいいんだ、私は」
 ハッキリしない奴だな。
 ルルーシュは内心でそう思う。
 だが、いずれにせよ、ルルーシュの本心にしたって同じような状態だ。
 おそらくC.C.も、本心をハッキリ口にするのが怖いのだろう。
 個人に対する思いひとつで引き受けるには、あまりに大きすぎる重責だ。不死の運命(さだめ)は。
 だから、間違っても自分のほうからは、「私を選んでくれ」なんて口にしない。
 あくまで、ルルーシュの自主性に任せたがっているのだろう。
 そこから一歩変化を求めているのは、たしかにルルーシュのほうではあるけれど、躊躇いの部分が完全に消え去っているわけでもない。
 結局は自分も、今のままの関係で満足している部分を自覚しているのだ。
 もう少しだけこのまま――無責任な男のまま、一緒に過ごしていられる居心地の好さだけを味わっていたい。
 本音を言ったら、そんなところか。
「なら俺は、その間どういったスタンスで過ごしていればいい?」
 念のために訊ねると、返す刀でビシッと鋭く睨まれた。
 ワケがわからず眉根を寄せると、呆れている口調でC.C.が言う。溜息まじりに。
「どうせ私が何を言ったところで、耳を貸そうとしない男が何を言う?」
 言われて、たしかにそうだったとルルーシュも素直に認めた。
「なら俺は、今までどおり好きにするまでだ」
「フン、すぐにそうやって、開き直るのもどうかと思うがな」
「うるさい」
 星の瞬く音が聞こえてきそうな、とても静かな夜だった。
 しばらく横目でC.C.の顔を盗み見ていたルルーシュは、溜息まじりに星空のほうに視線を移すと、どうでも良さそうにポツリと呟いた。
「顔が赤いぞ?」
「うるさい。鏡を見てから、ものを言え」
 何だ、気づいていたのか。
 繋いだ手が軽く汗ばんでくるような、何とも言えない沈黙を持て余しながら、ゆっくりでも歩いていた結果、やがて自宅のマンション前に辿り着き。
 二人で一緒にエレベーターに乗り込んで、玄関ドアを開ける直前に一瞬だけC.C.を引き止めて、ルルーシュは唇に触れるだけのキスをした。
 ドアの向こう側で同じことをやったら、何だかキスだけでは止められないような感じがしていたので。

 かくして二人の関係は、三分の一歩ばかり前進し、表面上は何事もなく平穏無事に日々は過ぎ去って行くわけだが。
 結局は、曖昧すぎる関係に業を煮やしたC.C.が、「シャルルぅ~」とアリエスの離宮に泣きつきに訪れるのは、それから更に九ヵ月後の話である。


[ ende ]
――「素直」と「無自覚」は紙一重。